木村屋敷・・・国指定登録有形文化財(文化庁 第22-0177) *この建造物は、貴重な国民的財産です。
2015年06月04日
2015年05月31日
2015年05月12日
2015年04月21日
皇室向きのお茶室
日本伝統技術建築の大御所、中村昌生先生が訪れて下さいました。数年にわたるアプローチがやっと実ったのです。玄関先に御出迎えにあがると、「やぁ、小林さんお叱りを覚悟でやって参りましたよ。」・・と冗談をいいながら、まるで長年の知己のように気さくに、お声をかけてくださいました。先生とは何度か電話では話をし合ってはおりました。しかし、こうしてお目にかかるのは初めてでした。
八十七歳という御高齢にも関わらず午前11時から午後の4時ころまでの5時間にわたり邸内をエネルギッシュに隈なく調査し、「奇跡だ。」と何度もおっしゃったのです。
「やんごとなきお方をお迎えする屋敷であることは疑う余地がない。お茶室として理にかなっており、この様な建物が存在している事が奇跡と言うほかに言葉がない。」
・・私が今まで調べていた事、つまり皇室のために作られたお茶室である事が、中村先生により「きちっと」裏付けけられたのです。
また先生は庭の専門家である、野村庭園研究所の野村勘次先生に庭の調査を依頼するとまで言って居られました。野村先生に同行して、もう一度お見えになられるとの事でした。
野村先生は名古屋万博の日本庭園、浜松花博の日本庭園を手がけた庭の第一人者です。
木村屋敷が庭園も含めて、全てが「お茶室」として建設されている事が解明される日も近いでしょう。
とも角、日本建築と日本庭園の第一人者であられる両先生に本格的な調査をして頂く事が可能となりそうです。
中曽根首相がレーガン大統領を自分の山荘に招きお茶を点てもてなし、レーガンさんが自己所有の牧場に中曽根さんを招き、互いにロン、ヤスと呼び合う仲となった事は有名な話で、 欧米社会では、宮殿や官邸での接待は単なる儀礼的なものであり、プライベートの山荘などへ招く事こそが真の友情を深める「おもてなし」なのです。
木村屋敷は皇室が諸外国のトップをプライベートで接待する山荘として建設された屋敷であると思われます。
「お茶事」は日本の伝統的な思想、宗教心、芸術、美意識等を集約したものと言われており、お茶室はそれを盛り込む器ですから、この屋敷こそ最高の迎賓館であると思います。
静岡県はお茶の一大産地です。この様な最高峰のお茶室が八十年も前に「静岡の地」に建設されていた事実は特筆されるべき事であり、この屋敷の建設経緯などを詳しく知るべくしっかりとした調査が待たれます。
2015年04月15日
2015年04月12日
2015年04月09日
2015年04月09日
2015年02月23日
2015年02月14日
2015年01月29日
2014年12月18日
2014年12月18日
2014年12月18日
龍門瀑
中国の黄河の中流にある3段の滝を登った鯉が龍になると言う登竜門の故事に基ずいた石組の様式の滝が、木村屋敷の庭の中軸を為しております。この滝の水が、鑓水とよばれる曲がりくねった小川を通じて池泉に流れ込んでおります。日本庭園は美しい自然の風景を、そのまま庭に運び込むと言う作事をいたしますが、それは昔から日本人には自然を畏敬した美意識が根源にあるからです。要するに山水が滝から川に、やがては海に注ぎ込むという自然の摂理を描いているのです。池泉とは池の事で、池は海に例えます。
木村屋敷は外国の賓客を茶事で接待する迎賓館です。この庭は、日本人の自然と共存する思想を先ず以ってお客様に知らしめる事ができます。日本人の心の根底にあるものは共存共栄であるということを訴えているのです。
茶は伝統的な日本人の思想、宗教心、芸術、美意識などを集約した文化であり、「お茶室」はそれらを盛る器です。
皇室の為に作られた「お茶室」と言う事は、これ以上のものはないと言っても差支えがないと思います。
どうも木村屋敷は「五楽荘」と戦前から呼ばれていた様子です。私は前所有者が,旅館経営をした時につけた屋号と単純に思い込んでいたのですが、、五楽の意味を調べて見ますと、仏様のおわしますところ「お浄土」を意味していたのです。・・・ なんと利休の目指した「お茶室」なのです。この屋敷の設計者は、茶に精通した人物であった事は疑う余地がありません。お茶は禅の修業の一つであり、禅に通じたお茶人の建築家の仕事です。魯堂をおいて他に誰があるでしょう。娯楽荘の名も、ひょっとして魯堂の命名かもしれません。
木村屋敷を、もとの名である{「五楽荘」に戻す必要性も視野に入れております。
木村屋敷は外国の賓客を茶事で接待する迎賓館です。この庭は、日本人の自然と共存する思想を先ず以ってお客様に知らしめる事ができます。日本人の心の根底にあるものは共存共栄であるということを訴えているのです。
茶は伝統的な日本人の思想、宗教心、芸術、美意識などを集約した文化であり、「お茶室」はそれらを盛る器です。
皇室の為に作られた「お茶室」と言う事は、これ以上のものはないと言っても差支えがないと思います。
どうも木村屋敷は「五楽荘」と戦前から呼ばれていた様子です。私は前所有者が,旅館経営をした時につけた屋号と単純に思い込んでいたのですが、、五楽の意味を調べて見ますと、仏様のおわしますところ「お浄土」を意味していたのです。・・・ なんと利休の目指した「お茶室」なのです。この屋敷の設計者は、茶に精通した人物であった事は疑う余地がありません。お茶は禅の修業の一つであり、禅に通じたお茶人の建築家の仕事です。魯堂をおいて他に誰があるでしょう。娯楽荘の名も、ひょっとして魯堂の命名かもしれません。
木村屋敷を、もとの名である{「五楽荘」に戻す必要性も視野に入れております。